生きる意味がわからない・・・自分の役割とは?

生きる意味がわからない・・・自分の役割とは?

セルバンテスの名作「ドン・キホーテ」の中で、主人公のドン・キホーテは、この世は劇場のようなものだと言っています。芝居の中の登場人物は様々な役割を演じています。王様、詐欺師、商人、売春宿の主まで、その役柄は多種多様です。

でも芝居が終われば、役者たちは舞台衣装を脱ぎ捨てて、皆同じ身分にもどります。芝居でもこの世でも同じことが起きているというのです。芝居の幕が下りるということは、この世での命が尽きて肉体の衣を脱ぎ捨てることです。死は皆に平等に訪れるのです。

確かにその通りだと思います。ただ、この世の劇場は、一つの決められた枠組みの中だけで最終ピリオドが打たれるのではなく、幕が下りた後も時空を超え別の形で続いていくのだと思います。

というのは、私は輪廻転生を信じているからです。輪廻転生とは、肉体の死後も霊魂は別の次元で生き続け、この世に何度も生まれ変わってくるという考え方です。何度もこの世に生まれ変わってくることにより、学びを積み重ねて精神的に成長していくことを目指しています。

この世の芝居の幕が最終的な意味で下りる時とは、すべてを悟りきった人が、もうこの世に生まれ変わってくる必要がなくなった時ではないでしょうか。

前世で学びきれなかったことを学ぶために

前世で学びきれなかったことを学ぶために

生まれ変わってくるに当たり、私たちは皆、次の生で自分が学ぶべきものを決め、そのためにはどのような家庭に生まれようか、どのような職業に就こうか…など、自分の歩むべき人生の青写真を持って生まれてくるようです。

前世で学びきれなかったことを学ぶために相応しい環境や役割を、高次元の指導者の助言を受けながら自分自身で決めるそうです。

このように、私たち一人一人は、この人生で自分が選択した役割を演じているのですから、社会的地位が高い低いというのも、限界のあるこの世的な見方に過ぎません。

ですから、自分の人生を自慢したり、卑屈になったりするのは全く無意味です。例えば、前世、貧しい中で生を終えた人が、次の生では金持ちとして生まれてくることにより、別の角度から人生を眺め、学んでみたいと思うかも知れません。

つまり、貧しい人も金持ちもただの役割に過ぎないのです。ドン・キホーテも、金持ちは貧しい人に慈悲の心を持ち、貧しい人は金持ちを理解しようとしなければならないと言っています。つまり、双方の体験が必要なのだと思います。

助ける人と助けられる人

助ける人と助けられる人

また、私たちの人生の中で、必ず、助ける人と助けられる人がいます。これも、私たちが演じている役割の一つだと思います。助ける人のほうが偉いということでは絶対ありません。助ける人は、誰かの役に立っているという気持ちが人生に意味を与え、大きな喜びをもらえます。

助けてもらった人は、感謝の気持ちを学びます。感謝の気持ちは常にプラスの方向に働き、人間を成長させます。このように、双方が必要不可欠で、互いを支え合っているのです。

むしろ、助けてもらう方を選んだ人の方が勇気ある選択をしたとさえ私は思います。学びのレベルは全く同じであっても、助ける側の立場の方が、助けられる側より気持ちとしては楽なのではないでしょうか。障害を持って生まれてきた人にも同じことが言えます。速く成長を遂げたい人は、障害を持って生まれることを選ぶそうです。そのような人生を選ぶことは、よほどの覚悟と勇気が必要だと思うのです。

生まれ育った環境によって、その人の在り方は違ってきます。何らかの事情で愛情を受けずに育った人が、人生を肯定的に見ることができず、脇道に逸れてしまうこともあるかも知れません。でも、その時、その人に出会い関わった人が手を差し伸べて、脇道から引き戻してあげることもできます。

それによって、その人は自分の歩むべき道に懸命に向き合えるようになるかも知れないのです。生まれ育つ環境を選ぶのも自分であるなら、これも、助ける人、助けられる人の役割を演じながら、双方が学び合っているのでしょう。

私たちは支柱となる課題を持って生まれてくるのですが、その大きな課題をこなすために人生は複雑な人間関係で織り成されています。そして、私たちは大勢の人々に出会うのです。その一人一人との関わりから、いろいろな学びを得ることができます。

あなたがAさんから学べることとBさんから学べることは、学びの内容も違うでしょう。また、AさんやBさんもあなたから学びを得ています。そして、自分の役割を通して、それぞれの小さな学びが積み重り、柱となる大きな課題につながるようになっているのではないでしょうか。

ここで大事なことは、自分の役割に愛情をもつことです。それによって、自分の役割は倫理的なものとなるそうです。大まかな計画を持って生まれてきても、各々の場面で出会う人達に対してどのような姿勢で接するかを選択しなければなりません。その時に、自分の役割に愛情を持っている人は、愛に基づいた選択ができ、私たちは生き生きとした人生を歩むことができるのではないでしょうか。

まとめ

とは言っても、現実は厳しく、なかなか綺麗事では済まされないのが実状ですよね。過酷な現実に向き合っている時には心の余裕もないし、愛の選択だなどと言っていられないと思います。ですから、ただ心の隅で、このような考え方もあるのだと知っているだけでいいのです。

そして、少しずつでも、その方向に向かって進んでいけたらいいな…程度の気持ちで十分だと思います。もともと人間の本質は、愛の選択ができるようにできているのだと私は信じています。

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